日本伝統文化

日本伝統文化
日本の伝統文化を写真で解説します

日本伝統文化 陶芸に関する書籍の紹介

陶芸に関する書籍は、なかなか街の小さな本屋さんでは入手が困難です、また入荷してもごく少数であったり、もともと発行部数が少なく、欲しくても手にいれるのが難しいのが現状です。

これから陶芸をはじめたいと思っても陶芸の技法やアイデアは専門的で、専門の学校に行くとかしないと中々習得できません。

陶芸教室で勉強を始めていろいろ疑問が出てきた方、より高度な技法を勉強したい方に書籍は参考になります。

創作意欲は最初はまねること、そしてあなたの独自性を技法に生み出すことにあるのかもしれません。

ここに紹介する書籍は代表的な物ですが、こちらで検索していただければ、他の本も入手は可能です。

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日本伝統文化 陶芸に関する書籍



日本の主な陶芸品の産地

平清水焼(山形県)
相馬焼(福島県)
会津本郷焼(福島県)
益子焼(栃木県)人間国宝の濱田庄司による民芸運動により有名となった。
笠間焼(茨城県)
陶鎌倉焼(神奈川県)
美濃焼(岐阜県)志野、織部、黄瀬戸、瀬戸黒の4種が代表的である。
瀬戸焼(愛知県)日本六古窯の一つ。日用の陶器の代名詞である「セトモノ」の語源となった。
常滑焼(愛知県)日本六古窯の一つ。
萬古焼(三重県)
伊賀焼(三重県)
九谷焼(石川県)
信楽焼(滋賀県)日本六古窯の一つ。
越前焼(福井県)日本六古窯の一つ。
出石焼(兵庫県)
丹波焼(兵庫県)日本六古窯の一つ。
京焼(京都府)
楽焼(京都府)
交趾焼(こうちやき)(京都府)
赤膚焼(奈良県)
備前焼(岡山県)日本六古窯の一つ。
大谷焼(徳島県)
砥部焼(愛媛県)
布志名焼(島根県)
萩焼(山口県)
上野焼(福岡県)
小鹿田焼(大分県)
唐津焼(佐賀県)
有田焼(佐賀県)
波佐見焼(長崎県)
三川内焼(長崎県)
薩摩焼(鹿児島県)
壺屋焼(沖縄県)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


日本伝統文化 陶芸 壺屋焼

壺屋焼(つぼややき)は沖縄県那覇市壺屋地区及び読谷村その他で焼かれる陶器。

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日本伝統文化 陶芸 薩摩焼

薩摩焼(さつまやき)は、鹿児島県内の至る地方で焼かれる焼き物で、陶器と磁器の両方が焼かれる。

主な窯場に加治木町の龍門司窯、日置市(旧東市来町)の苗代川窯、そして鹿児島市の長太郎窯がある。

「白もん」と呼ばれる豪華絢爛な色絵錦手の磁器と「黒もん」と呼ばれる大衆向けの雑器に分かれていることで知られる。
豊臣秀吉の朝鮮征伐の際に、捕虜として連行されてきた朝鮮人陶工たちが、薩摩藩藩主島津義弘の保護の下に発展させた。

 平成14年1月に国の伝統的工芸品に指定された。


種類
白薩摩(白もん)
東市来町美山地区にある苗代川窯で焼かれていた陶器。藩主向けの御用窯で、金、赤、緑、紫、黄など華美な絵付を行った豪華絢爛な色絵錦手が主である。元々は苗代川焼と呼ばれ、薩摩焼とは名称を異にしていた。

黒薩摩(黒もん)
白薩摩に対して、大衆用の日用雑器として焼かれていた陶器で、鉄分含有量が多い土を用いるため、黒くなる。繊細かつ優美な白薩摩に対し、野趣溢れ、重厚な面持ちが特色で、黒薩摩のファンも多い。特に、黒ヂョカ(茶家)と呼ばれる素朴な土瓶は、焼酎を飲むときに欠かせないといわれる。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』



日本伝統文化 陶芸 三川内焼

三川内焼(みかわちやき)は別名「平戸焼」ともいう長崎県佐世保市の陶磁器である。昭和53年(1978年に経済産業大臣指定伝統的工芸品の認証を受けている(認証番号14-119)。現在14の窯元がある。天草陶石を用いた白磁に藍色で絵付けがされた物に代表される。


歴史
豊臣秀吉が起こした朝鮮の役の際、各地の大名は秀吉の命により、朝鮮の陶工を日本へと連れ帰った。二十六代平戸藩藩主である松浦鎮信(しげのぶ)も多くの陶工を連れ帰った。慶長三年(1598年)に連れてこられた巨関(こせき)という陶工は、帰化して今村姓を名乗った後、平戸島中野村の中野窯で藩主の命により最初の窯入れをした。この中野焼が三川内焼の始まりといわれている。同じく朝鮮から来た陶工の高麗媼は中里茂左衛門のもとに嫁いだ後、元和8年(1622年)に三川内へ移住した。また、巨関は1622年ごろ、中野村に陶土がなくなったために陶土を求め息子の今村三之丞と共に藩内を転々とし、寛永14年(1637年)、最後に行き着いたのが三川内である。その後、慶安3年(1650年)に中野村の陶工が平戸藩により三川内に移された。

文化元年(1804年)に長崎に設けられた平戸藩物産会所からは、コーヒー茶碗等の輸出用として御用窯で焼かれたものがオランダや中国などに輸出されている。


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日本伝統文化 陶芸 波佐見焼

波佐見焼(はさみやき)は長崎県東彼杵郡波佐見町で焼かれる磁器のことである。当初は青磁を生産していたが、やがて呉須で簡単な草花文などを描いた白地にくすんだ染付など、同県の三川内焼とは対照的に、江戸時代から大衆向けの食器を巨大な連房式登窯で多量に焼いてきた。

著名な産地である有田の陰に隠れているが、当時から染付磁器の生産量は日本一であったといわれ、18世紀以降の江戸時代の遺跡から出土する磁器は、その大部分が波佐見焼であると推察される。
特に波佐見からヒットした商品に「くらわんか碗」と輸出向けの「コンプラ瓶」がある。なお、今日でも食器生産が盛んで、磁器製の茶碗や食器類のシェアは国内トップクラス。1990年代前半には、全国の生活雑器のシェアの1/4-1/3を占めたこともある。
中国・東南アジア製の陶磁器が流入したために収益が激減しており、2007年2月には統一ブランド「エレガント」を共同開発して巻き返しを図る。毎年4月上旬には中尾郷限定で「桜陶祭」、4月下旬から5月上旬に町内を挙げての「波佐見陶器祭り」が行われる。


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日本伝統文化 陶芸 有田焼

18世紀に作られたと見られる有田焼(伊万里焼)有田焼(ありたやき)は、「伊万里(いまり)」とも呼ばれる佐賀県有田町を中心に焼かれる磁器である。

伊万里の名称は、有田焼積み出しの際、伊万里港からなされていたことによる。泉山陶石、天草陶石などを原料としているが、磁器の種類によって使い分けている。作品は製造時期、様式などにより、初期伊万里、古九谷様式、柿右衛門様式、金襴手(きんらんで)などに大別される。また、これらとは別系統の献上用の極上品のみを焼いた作品があり藩窯で鍋島藩のものを「鍋島様式」、天皇家に納められたものを「禁裏様式」と呼んでいる。

江戸時代後期に各地で磁器生産が始まるまで、有田は日本国内で唯一、長期にわたって磁器の生産を続けていた。1977年(昭和52年)10月14日に経済産業大臣指定伝統工芸品に指定。

九州旅客鉄道(JR九州)佐世保線有田駅-上有田駅間の沿線から煙突の立ち並ぶ風景がみられる。


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日本伝統文化 陶芸 唐津焼

唐津焼(からつやき)は佐賀県唐津市で焼かれる陶器。
古くから一楽二萩三唐津として茶器として名高い。分派の武雄古唐津焼と共に、日本の伝統的工芸品に指定されている。


歴史
唐津は古くから対外交易拠点であったため、安土桃山時代から陶器の技術が伝えられていたといわれ、現在も佐賀県の岸岳諸窯など至る所に窯場跡が点在する。唐津焼の名称は、唐津焼積み出しの際、唐津港からなされていたことによる。だが、唐津焼が本格的に始まったのは、文禄・慶長の役の頃からといわれ、この時に朝鮮から大量に連行してきた陶工らが技術を伝えたのが契機である。彼らは藩の保護の下、技術を研鑽、スタイルを確立させた。草創期は食器や甕など日用雑器が中心であったが、この頃になると唐津焼の特徴であった質朴さと侘びの精神が相俟って茶の湯道具、皿、鉢、向付(むこうづけ)などが好まれるようになった。また、唐津の焼き物は京都、大坂などに販路を拡げたため、西日本では一般に「からつもの」と言えば、焼き物のことを指すまでになった。とりわけ桃山時代には茶の湯の名品として知られ、一井戸二楽三唐津(又は一楽二萩三唐津)などと格付けされた。

だが江戸時代に入って窯場が林立したために、燃料の薪の濫伐による山野の荒廃が深刻な問題となった。それ故に鍋島藩は藩内の窯場の整理、統合を断行、それによって窯場は有田に集約されたため、唐津も甚大な影響を被り、多くの窯元が取り壊された。しかし、唐津の茶器は全国でも評判が高かったため、茶陶を焼くための御用窯として存続した。その間の焼き物は幕府にも多数献上品が作られたため、献上唐津と呼ばれる。 

明治維新によって藩の庇護を失った唐津焼は急速に衰退、有田を中心とした磁器の台頭もあって、多くの窯元が廃窯となった。だが後の人間国宝、中里無庵が「叩き作り」など伝統的な古唐津の技法を復活させ、再興に成功させた。現在は約50の窯元があり、伝統的な技法を継承する一方で、新たな作品を試みたりと、時代の移り変わりの中で、着実な歩みを遂げている。


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日本伝統文化 陶芸 小鹿田焼

小鹿田焼(おんたやき)は大分県日田市の山あい、小鹿田地区にて焼かれる陶器。

技法は福岡県の小石原焼に類似している。これは江戸時代の宝永2年に日田の代官が領内の生活雑器需要を賄うため、小石原から陶工を呼んできたためである。

特徴としては飛び鉋、刷毛目、櫛描きなどがあり、道具を用いて刻まれた幾何学的紋様は小鹿田焼や小石原焼独特のものである。
また釉薬の使い方には打ち掛け、流し掛けなどといった技法が用いられる。また、陶土を搗くための唐臼も独特のものであり、この独特の音は「日本の音風景100選」にも選ばれている。

この小鹿田焼が有名になった背景には、民芸運動を提唱したことで知られる柳宗悦が「日田の皿山」と題して絶賛する内容の一文を発表したこと、更に日本の陶芸界に大きく名を残したイギリスの陶芸家、バーナード・リーチも絶賛し、小鹿田の地に滞在、作陶を行った経歴がある。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』



日本伝統文化 陶芸 上野焼

上野焼(あがのやき)は福岡県田川郡香春町、福智町、大任町で焼かれる陶器。

江戸前期に高名な茶人でもあった大名、細川忠興が小倉藩主となった際、家臣であった朝鮮人陶工、尊楷(上野喜蔵)に命じて、当時の上野村に登り窯を築かせたのが始まり。江戸時代には遠州七窯の一つにも数えられるほど、茶人に好まれた。

明治期には衰退の様相を見せたが、明治35年に復興、1983年には通産省(現在の経産省)指定伝統的工芸品の指定を受けた。

上野焼の特徴は他の陶器と比べると生地が薄く、軽量であることである。

また使用する釉薬も非常に種類が多く、青緑釉、鉄釉、白褐釉、黄褐釉など様々な釉薬を用い、窯変(窯の中で釉薬が溶け、千変万化の模様を作り出すこと)を生み出すのが特徴で、絵付けはまず用いていない。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』



日本伝統文化 陶芸 萩焼

萩焼(はぎやき)は山口県萩市一帯で焼かれる陶器。一部長門市・山口市にも窯元がある。長門市で焼かれる萩焼は、特に深川萩(ふかわはぎ)と呼ばれる。

古くから「一楽二萩三唐津」と謳われるほど、茶人好みの器を焼いてきたことで知られる焼き物である。

萩焼の特徴は原料に用いられる陶土とそれに混ぜる釉薬の具合によって生じる「貫入」と使い込むことによって生じる「七化け」がある。

貫入とは器の表面の釉薬がひび割れたような状態になることで、七化けとはその貫入が原因で、長年使い込むとそこにお茶やお酒が浸透し、器表面の色が適当に変化し、枯れた味わいを見せることである。

素地の色を生かすため、模様は地味だが根強いファンが多く、市内界隈には新規を含め、多数の窯元が存在する。


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日本伝統文化 陶芸 布志名焼

布志名焼(ふじなやき)は島根県松江市玉湯町にて焼かれる陶器。

江戸時代に松江藩の御用窯として開かれた窯場(雲善窯)で、大名茶人でもあった松平不昧公の好みを反映した茶器が焼かれた。後に民窯の船木窯も開窯し、黄釉や出雲青地と呼ばれる青釉の日用雑器を焼き、一時は海外への輸出も盛んに行われるほど隆盛を極めた。

その後衰退するが、昭和になってバーナード・リーチや河井寛次郎、浜田庄司らの指導、交流の元に民陶として復活、再興を遂げた。リーチの影響を強く受けているため、英国のガレナ釉(鉛の硫化物)に似た黄釉、飴釉などが用いられ(英国でガレナ釉を再現する際、布志名焼が参考にされた。)、英国式のスリップウェアという手法を用いて焼かれる。

県内の他の焼き物
島根県出雲地方には規模は決して大きくないが、個性的な窯場が至る所に点在する(県のふるさと伝統工芸品に指定)。これらを引っくるめて雲州焼と呼ぶことがある。

八幡焼(はちまんやき) 安来市広瀬町(旧広瀬町)
御代焼(みじろやき) 雲南市加茂町(旧加茂町)
錦山焼(きんざんやき) 安来市
萬祥山焼(ばんしょうざんやき) 出雲市
楽山焼(らくざんやき) 松江市
袖師焼(そでしやき) 松江市
母里焼(もりやき) 安来市伯太町(旧伯太町)
出西窯(しゅっさいやき) 斐川町
温泉津焼(ゆのつやき) 温泉津町

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』



日本伝統文化 陶芸 砥部焼

砥部焼(とべやき)は、愛媛県砥部町を中心に作られる陶磁器である。一般には、食器、花器等が多い。愛媛県指定無形文化財。

後背の山地から良質の陶石が産出されていたことから、大洲藩の庇護のもと、発展を遂げた。

やや厚手の白磁に、呉須と呼ばれる薄い藍色の手書きの図案が特徴。砥部焼は手ひねりで作るため、全国的に見ても決して大産地や有名産地ではないが、独特の風合いが愛好家に評価されている。

なお、近年ブームの讃岐うどんの器としても砥部焼はよく用いられる。

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日本伝統文化 陶芸 大谷焼

大谷焼(おおたにやき)は徳島県鳴門市の大谷地区で作られる陶器である。寝轆轤と呼ばれる独特の轆轤を用いて制作される大甕で知られる。寝轆轤は相手が寝ながら足を用いて回す仕掛けで基本的に大甕作りは二人の呼吸が合っていないと作れない。尚、この大甕は阿波地方の特産である藍染めに欠かせない道具であり、藍甕と呼ばれる。

大谷焼は元々、染付磁器が焼かれていた。だが、経営悪化で廃窯となり、これを藍商人であった賀屋文五郎らの手によって再興、信楽の陶工の協力もあって藍染の需要に見合った大甕を焼くことになったのである。明治に入ると化学染料の開発、生活様式の変化に伴い、藍甕の需要は激減、不振に陥った。それでも脈々と大甕作りは続けられ、今日に至っている。また、現在は壺、皿、徳利、片口、茶器などといった小物を焼いている窯も見られる。

2003年(平成15年)の9月に経済産業省指定伝統的工芸品となった。

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日本伝統文化 陶芸 備前焼

備前焼(びぜんやき)とは、岡山県備前市周辺を産地とする陶器、炻器。備前市伊部地区で盛んであることから「伊部焼(いんべやき)」との別名も持つ。

同地区で数多く見られる煉瓦造りの四角い煙突は備前焼の窯のものである。


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日本伝統文化 陶芸 赤膚焼

赤膚焼(あかはだやき)は奈良県奈良市、大和郡山市に窯場が点在する陶器である。

草創は判然としないが、桃山時代に大和郡山城主であった豊臣秀長が、五条村赤膚山に開窯したと伝えられる。
江戸後期には藩主、柳沢保光の保護を受け、幕末には名工、奥田木白が仁清写しなどの技術を披露し、世に広めた。小堀遠州が好んだ遠州七窯の一つにも数えられている。

 赤膚焼は名の如く、器肌に赤みを帯びている。名の由来はその器肌という説と地元の地名から来たという二説がある。
その赤みを帯びた器に乳白色の萩釉を掛け、奈良絵と呼ばれる絵付けを施した物がよく知られる。奈良絵とは御伽草子などを題材とした庶民的な絵柄で、微妙な稚拙な構図が器肌の素朴さを巧く引き出している。

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日本伝統文化 陶芸 交趾焼

交趾焼(こうちやき)は、陶磁器の一種でベトナムの交趾とも中国南部の産ともいわれる。コーチシナ(交趾支那)との貿易による交趾船によりもたらされた焼き物と言われる。正倉院三彩などの低火度釉による三彩、法花とよばれる中国の元時代の焼き物、黄南京と呼ばれる中国の焼き物や清の時代の龍や鳳凰が描かれた焼き物も広い意味では交趾焼であろう。総じて黄、紫、緑、青、白、などの細かい貫入の入る釉薬のかかった焼き物の事をさす。

交趾焼は交趾、交趾写し、コーチ、こうちと呼ばれる事が多く、通常は日本にわたってきた本歌と、日本国内で生産されてきた低火度焼成による色絵陶磁器全般の事を示す。

彫刻、盛り上げ、椎泥、イッチン、貼付け、線刻、泥化粧などの下絵を施した生地に鮮やかな色釉がかかる。

交趾焼は主に茶の湯の世界で珍重され、香合がとくに尊ばれる。江戸時代に数寄者の間で作成された香合番付では、交趾の香合がその上位を占める。

茶の湯で珍重されるという事で、京都において楽家や永楽善五郎がその写しものを制作した事から九谷焼や日本の国焼でもその写しが作られることとなり、その制作は全国で行われる。永楽が携わった紀州徳川家の偕楽園焼は紫と浅葱色と呼ばれるトルコブルーを基調にした法花の和製の作風で知られる。

青木木米は交趾の名品を多く残している。

1943年(昭和18年)に交趾焼で技術保存作家認定を受けた二代赤沢露石(赤沢修三 京都市)が知られる。

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日本伝統文化 陶芸 鎌倉焼とは?

鎌倉の地盤は厚い凝灰岩の層からなり、切り通しや、やぐら等が多いのは、
この凝灰岩が柔らかいわりには崩れにくく、彫りやすいからである。
鎌倉の土は、凝灰岩(茶色)、土丹(灰色)、田んぼの土(黒)の三種類に分けられる。
どれも単味では耐火度が低すぎ1100度がぎりぎりのところ、
1250度以上の高温では飴のように溶けて使い物にならない。
良い粘土がなかったことが、鎌倉に焼きものがあまり発達しなかった原因の一つなのかもしれない。
しかし逆に考えると、耐火度のない土をそのまま釉薬に使うことが出来る。
黒、茶色、胡麻塩のものなど、面白いものが出来る。
溶融点が格別はっきりしており、
これらの釉薬はそれまでざらざらしていた表面が一瞬にして表面に光沢が出る。
現在は土だけではなく、焼きものに鎌倉彫の技術を応用することを試し、
耐久性のある陶胎漆器を考え、 「陶鎌倉焼」と名づけた。
鎌倉の建長寺に因み「けんちん汁碗」などを制作している。

2003年8月21日朝日新聞神奈川版の朝刊に「鎌倉焼」の記事が掲載。
2003年8月23日創建750年の建長寺に 陶胎漆器の「八角形けんちん汁碗」を奉納。


日本伝統文化 陶芸 楽焼

黒楽茶碗楽焼(らくやき)は、「手捏ね」(てづくね)と呼ばれる方法で轆轤(ろくろ)を使わず手とへらだけで成形し、焼成した軟質施釉陶器。狭義には樂家の歴代当主が作製した作品を示し、楽茶碗などとも呼ばれる。広義には同様の手法を用いて作製した陶磁器全体を指す。樂家の手法を得た金沢の大樋焼や京都の玉水焼なども含まれる。

千利休らの嗜好を反映した、歪んで厚みのある形状が特徴である。 茶碗や花入、水指、香炉など茶道具として使用される。


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日本伝統文化 陶芸 京焼

京焼(きょうやき)は日本の陶磁器の一種。京都で作られるものの総称となっている。

安土桃山時代頃に作られ始めた。江戸時代には、尾形乾山や野々村仁清が有名。
その後も奥田頴川、青木木米、仁阿弥道八、欽古堂亀祐、永楽保全、永楽和全などが出た。

種類
音羽焼、御室焼、粟田口焼、清水焼、御菩薩焼、八坂焼、他多数。

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プロフィール
パソコン暦20年ですがほとんど仕事でした。これからは趣味のパソコンとして楽しみながら操作したいと思っています。
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