ものづくりの歴史
1980年代以降、単純な製造作業の拠点は中国などに移り、おりしもITブームや財テクが流行り、日本の製造業には3Kに代表される工場で油にまみれる作業のネガティブな印象が強かった。しかし、1990年代後半から自動車産業を筆頭に、日本の製造業が復活を遂げた。そこで、日本の製造業が集約型単純労働ではなく、より高度で精神性の高い技術活動であるとの認識が生まれ、製造業をポジティブなイメージで捉える言葉として「ものつくり」という表現が使われるようなった。現在の日本の製造業の繁栄は、日本の伝統文化に源を発するという考え方である。
2000年にものづくり基盤技術振興基本法が公布されると、企業やマスメディアの間でも広く使われるようになった。
ものづくり基盤技術振興基本法
ものづくり基盤技術振興基本法では、製造業を日本経済の基幹産業と位置付け、製造業の育成強化や熟練技能者の地位向上を謳っている。ただし、製造業と伝統技術や歴史の関係について明記しているわけではない。
ものづくり基盤技術振興基本法前文
ものづくり基盤技術は、我が国の基幹的な産業である製造業の発展を支えることにより、生産の拡大、貿易の振興、新産業の創出、雇用の増大等国民経済のあらゆる領域にわたり、その発展に寄与するとともに、国民生活の向上に貢献してきた。また、ものづくり基盤技術に係る業務に従事する労働者は、このようなものづくり基盤技術の担い手として、その水準の維持及び向上のために重要な役割を果たしてきた。 我らは、このようなものづくり基盤技術及びこれに係る業務に従事する労働者の果たす経済的社会的役割が、国の存立基盤を形成する重要な要素として、今後においても変わることのないことを確信する。
しかるに、近時、就業構造の変化、海外の地域における工業化の進展等による競争条件の変化、その他の経済の多様かつ構造的な変化による影響を受け、国内総生産に占める製造業の割合が低下し、その衰退が懸念されるとともに、ものづくり基盤技術の継承が困難になりつつある。 このような事態に対処して、我が国の国民経済が国の基幹的な産業である製造業の発展を通じ今後とも健全に発展していくためには、ものづくり基盤技術に関する能力を尊重する社会的気運を醸成しつつ、ものづくり基盤技術の積極的な振興を図ることが不可欠である。 ここに、ものづくり基盤技術の振興に関する施策を総合的かつ計画的に推進するためこの法律を制定する。
重要伝統的建造物群保存地区一覧
都道府県 市町村 保存地区 選定年 地区種別
北海道 函館市元町・末広町 1989年 港町
青森県 弘前市 仲町 1978年 武家町
黒石市 中町 2005年 商家町
岩手県 金ケ崎町 諏訪小路 2001年 武家町
秋田県 仙北市 角館 1976年 武家町
福島県 下郷町 大内宿 1981年 宿場町
群馬県 六合村 赤岩 2006年 山村・養蚕町
埼玉県 川越市 川越 1999年 商家町
千葉県 香取市 佐原 1996年 商家町
新潟県 佐渡市 宿根木 1991年 港町
富山県 高岡市 山町筋 2000年 商家町
南砺市 相倉 1994年 山村集落
菅沼 1994年 山村集落
石川県 金沢市 東山ひがし 2001年 茶屋町
主計町 2006年 茶屋町
加賀市 加賀橋立 2005年 船主集落
福井県 若狭町 熊川宿 1996年 宿場町
山梨県 早川町 赤沢 1993年 講中宿・山村
長野県 塩尻市 奈良井 1978年 宿場町
木曽平沢 2006年 漆工町
東御市 海野宿 1987年 宿場町・養蚕町
南木曽町 妻籠宿 1976年 宿場町
白馬村 青鬼 2000年 山村集落
岐阜県 高山市 三町 1979年 商家町
下二之町・大新町 2004年 商家町
美濃市 美濃町 1999年 商家町
恵那市 岩村町本通り 1998年 商家町
白川村 荻町 1976年 山村集落
三重県 亀山市 関宿 1984年 宿場町
滋賀県 大津市 坂本 1997年 門前町・里坊群
近江八幡市 八幡 1991年 商家町
東近江市 五個荘町金堂 1998年 農村集落
京都府 京都市 上賀茂 1988年 社家町
産寧坂 1976年 門前町
祇園甲部 1976年 茶屋町
嵯峨鳥居本 1979年 門前町
南丹市 美山町北 1993年 山村集落
伊根町 伊根浦 2005年 漁村
与謝野町 加悦 2005年 製織町
大阪府 富田林市 富田林 1997年 在郷町・寺内町
兵庫県 神戸市 北野町山本通 1980年 港町
篠山市 篠山町 2004年 城下町
奈良県 橿原市 今井町 1993年 在郷町・寺内町
宇陀市 松山 2006年 商家町
和歌山県 湯浅町 湯浅 2006年 醸造町
鳥取県 倉吉市 打吹玉川 1998年 商家町
島根県 大田市 大森銀山 1987年 鉱山町
温泉津 2004年 港町・温泉町
岡山県 倉敷市 倉敷川畔 1979年 商家町
高梁市 吹屋 1977年 鉱山町
広島県 呉市 御手洗 1994年 港町
竹原市 竹原地区 1982年 製塩町
山口県 萩市 堀内地区 1976年 武家町
平安古地区 1976年 武家町
浜崎 2001年 港町
柳井市 古市・金屋 1984年 商家町
徳島県 美馬市 脇町・南町 1988年 商家町
三好市 東祖谷村落合 2005年 山村集落
香川県 丸亀市 笠島 1985年 港町
愛媛県 内子町 八日市護国 1982年 製蝋町
高知県 室戸市 吉良川町 1997年 在郷町
福岡県 八女市 八女福島 2002年 商家町
うきは市 筑後吉井 1996年 在郷町
朝倉市 秋月 1998年 城下町
黒木町 黒木 2006年 在方町
佐賀県 鹿島市 浜庄津町・浜金屋 2006年 港町・在郷町
八本木宿 2006年 醸造町
嬉野市 塩田津 2005年 商家町
有田町 有田内山 1991年 製磁町
長崎県 長崎市 東山手 1991年 港町
南山手 1991年 港町
雲仙市 神代小路 2005年 武家町
大分県 日田市 豆田町 2004年 商家町
宮崎県 日南市 飫肥 1977年 武家町
日向市 美々津 1986年 港町
椎葉村 十根川 1998年 山村集落
鹿児島県 出水市 出水麓 1995年 武家町
薩摩川内市 入来麓 2003年 武家町
知覧町 知覧 1981年 武家町
沖縄県 渡名喜村 渡名喜島 2000年 島の農村集落
竹富町 竹富島 1987年 島の農村集落
備考
2006年12月現在のもの。
市町村合併に伴い保存地区名が改称されたものについては、改称後の地区名を表示した。
種別の分類は国指定文化財等データベースによる。
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重要伝統的建造物群保存地区
概要
文化財保護法で言う「伝統的建造物群」とは、城下町、宿場町、門前町、寺内町、港町、農漁村などの、周囲の環境と一体をなして歴史的風致を形成している伝統的建造物群を指す。この制度は、文化財としての建造物を「点」ではなく「面」で保存しようとするもので、保存地区内では社寺、民家、蔵などの建築物はむろん、門、土塀、石垣、水路、墓などの「工作物」、庭園、生垣、樹木などの「環境物件」を特定し、保存措置を図ることとされている。重要伝統的建造物群保存地区については、文部科学大臣は「指定」ではなく市町村の申し出に基づき「選定」を行うこととされている。2007年3月現在、日本全国で81地区が選定されている。
問題
広島県福山市の鞆の浦では、市当局の「鞆港埋立による架橋計画と町並み保存は一体」との考えから、埋め立て架橋計画の白紙化と共に町並み保存計画も白紙化された。この件に関して、重伝建の選定を望む住民などは、架橋計画とは切り離して町並み保存計画を進めるよう要望している。
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日本の世界遺産
日本の世界遺産
2007年6月に新たに石見銀山遺跡とその文化的景観(島根県大田市)が登録され注目されています。
文化遺産
法隆寺地域の仏教建造物 -(1993年)
姫路城 -(1993年)
古都京都の文化財(京都市、宇治市、大津市)-(1994年)
白川郷・五箇山の合掌造り集落 -(1995年)
原爆ドーム -(1996年)
厳島神社 -(1996年)
古都奈良の文化財 -(1998年)
日光の社寺 -(1999年)
琉球王国のグスク及び関連遺産群 -(2000年)
紀伊山地の霊場と参詣道 -(2004年)
石見銀山遺跡とその文化的景観 -(2007年)
自然遺産
屋久島 -(1993年)
白神山地 -(1993年)
知床 -(2005年)
複合遺産
なし
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三匹獅子舞
篠笛とささらが伴奏につき、獅子は腹にくくりつけた太鼓を打ちながら舞う。
地域の神社や寺院の祭礼として氏子の人たちで行われているものが多い。
地元の人たちは獅子、獅子舞、ささら獅子舞などと呼ぶことが多いが、正月にみる獅子舞や神楽での一般的な獅子舞、いわゆる伎楽系(神楽系)の獅子舞とは系統を異にする風流系の獅子舞である。
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風流系の獅子舞
東北の一部には7~8頭で1組の鹿踊りもあるが、もっとも多いのは3匹1組の三匹獅子舞であり、東京・埼玉などのかつて武蔵国と呼ばれた地域の農山村では一般的な郷土芸能・民俗芸能となっている。
3匹のうちの1匹は女獅子(雌獅子)と呼ばれ、雄獅子が雌獅子を奪い合う女獅子隠しという演目を持つところが多い。
伴奏は、篠笛と竹でできたささらという楽器である。
「ささら」をする人は舞庭の四方に配置して、この楽器を奏するが、これを欠く三匹獅子舞もある。
起源は西日本の太鼓踊りあるいは陣役踊りといわれ、中心にいる数人が頭上のかぶり物を獅子頭に変えたものが始まりだろうと考えている人が多い。
しかし、東国の風流系の獅子舞は、もっと古くからある日本古来の獅子舞であり、獅子頭(ししがしら)も本来は鹿や猪を模したものであったと考えている人もいる。
獅子頭は通常木製(桐製)であり、獅子以外に竜頭のものや鹿頭のものもある。
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伎楽系の獅子舞
正月に見る獅子舞や神楽での獅子舞をはじめ、一般に獅子舞というとこの系統の獅子舞を指すことが多い。
起源は大陸から伝来したものと考えられ、現在の中国獅子舞とも繋がるものと考えられる。
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日本の獅子舞
大きく分けて、伎楽(ぎがく)系の獅子舞と風流(ふりゅう)系の獅子舞がある。
獅子の頭部(獅子頭:ししがしらと呼ばれる)は木製が多いが、和紙による張子のものや最近では発泡スチロールによるものもある。
舞方は諸流派があり風流系(ふりゅうけい)、神楽系(かぐらけい)などが知られるが、他にも多くの舞があり同じ物は二つとないとも言える。
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陶芸
焼きものとも呼ばれる。
造形方法には轆轤(ろくろ)の上に置き、手や足で回しながら、両手で皿や壷などの形をつくっていく方法や手びねりという方法、或いは型を用いて土の形を整える方法などがある。
九谷焼で使用された窯焼き方には、窯を用いない「野焼き」や、七輪を用いる「七輪陶芸」などという手法もある。
土の種類やこね方、釉、そして焼く温度など、様々な要素が作品に貢献する。
したがって、洋の東西を問わず世界中にいろいろな技法が存在する。
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日本の建築
当サイトで扱う建築物は文化庁の指定する「重要伝統的建築物群」にそって紹介していく。
御所・離宮
京都御所、修学院離宮、桂離宮
神社
伊勢神宮、出雲大社
寺院
法隆寺西院伽藍・夢殿、薬師寺東塔、東大寺(法華堂など)、唐招提寺(金堂など)、平等院鳳凰堂、中尊寺金色堂、三十三間堂、鹿苑寺(金閣寺)、慈照寺(銀閣寺)、清水寺、日光東照宮
城郭
姫路城、彦根城、松本城、五稜郭、名古屋城
近代・現代建築
明治時代以後、ヨーロッパの建築様式・技術が伝えられ、日本の建築も大きく変わっていった。
国会議事堂、首相官邸、東京都庁
東京駅、京都駅
太陽の塔
高層建築:霞ヶ関ビル、サンシャイン60、横浜ランドマークタワー
タワー建築:東京タワー、京都タワー、通天閣、福岡タワー、名古屋テレビ塔、さっぽろテレビ塔
ドーム球場:東京ドーム、大阪ドーム、ナゴヤドーム、福岡ドーム、札幌ドーム
競技場:国立霞ヶ丘陸上競技場、日本武道館、さいたまスーパーアリーナ、両国国技館
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民話・伝承・昔話
都市伝説・噂
学校の怪談
迷信
日本の主な民話・昔話
桃太郎、金太郎、浦島太郎、花さかじいさん、さるかに合戦、一寸法師、舌切り雀、鶴の恩返し、かさじぞう、おむすびころりん、うりこひめとあまのじゃく
怖い話・怪談の中には、講談、芝居など様々な文学ジャンルで採り上げられているものがある。
百物語、皿屋敷(播州皿屋敷、番町皿屋敷など)、四谷怪談(東海道四谷怪談など)、小泉八雲『怪談』所蔵:小豆とぎ・耳無し芳一・雪女、牡丹燈籠(灯篭)、おいてけ堀、八反坊、鍋島藩の化け猫騒動
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日本の文化 現代
国民の間でも、軍国主義への反省から積極的にアメリカ流の民主主義が取り入れられる過程で、電化製品やハリウッド映画に代表されるアメリカ流の生活・文化(American way of life)が生活の規範となった。
一方、日本の伝統的な文化の「封建性」や遅れ、歪みが指摘され、“和風文化”に否定的な風潮が強くなった。
戦時下の暗くて厳しい統制から解放され、人々は復興と上昇を目指した。科学技術の発達は希望となり、日本人の器用さや、真面目で勤勉な性格は、高度経済成長を支え、日本人の長所として前向きに作用した。
アメリカに次ぐ経済大国となった日本は自信を回復し、1970年の大阪万博では「人類の進歩と調和」が謳いあげられた。
一方、科学技術・産業・文化の高度化とともに公害に象徴される科学技術の暗い面がメディアに採り上げられ始め、科学技術には良い面も悪い面もあるとする認識が広まっていった。
また、それまで否定されてきた“和風文化”を見直そうとする機運も生まれた。
また、1990年代以降、アメリカやヨーロッパ、アジア諸国にも日本発の文化(のある側面)に興味を持つ人々が増えてきた。
特にアニメやキャラクターなどのコンテンツ分野、食文化、スポーツ、武士道などは多数の人が知るようになり、それらに関する店や施設(寿司バーや漫画ショップ)ができるまでになってきている。
平成に入って、世界規模、地球規模で環境の危機が認識され、合理的、機械的な文化に代わり、シンプルで素朴な文化の良さが少しずつ人々に再認識され始めた。
いっぽう各方面の技術の高度化や改革(環境に配慮した技術やIT、ハイテクなど)が進み、文化の流行は常に変わってきている。
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日本の文化の変遷 明治~昭和
新奇な風俗が次々にもたらされ文明開化の風潮が広まった。政府主導で積極的な西洋文化の導入が図られ、鹿鳴館時代には皮相的に急激な西洋化が図られたが、日本の伝統を見直そうという反動の動きも起こった。
「和魂洋才」という言葉もよく使われた。啓蒙的な思想家が封建的な思想や習慣を否定し、西洋の政治制度、文物を紹介し、新聞、雑誌などのメディアや鉄道など交通機関の発達は各地に新しい文化を広め、庶民生活に大きな影響を与えた。
しかし、都市部から離れた地域(農村部)では依然として、農業を基盤とした伝統的な行事や生活習慣が続いていた。
大正時代頃には進学率の上昇などを背景に、都市を中心に洋風の文化が次第に浸透し、デパートに代表される消費文化、大衆文化が成立した。アメリカの大衆文化の影響もあって、都市にはカフェーや映画館などの享楽的な文化も広まり、エロ・グロ・ナンセンスが流行した。
しかし、昭和初年の大恐慌により経済は疲弊し、農村は荒廃し、知識人の間ではソ連の社会主義への関心が高まった。こうした状況に危機感を抱いた軍部が独走し、中国での戦線を拡大していくと、国内的には思想・経済への統制が強まり、万世一系の日本の優秀さが説かれた。
国際的には英米などから批判を受けて孤立し、敵国語として英語が禁止された。
やがて真珠湾攻撃により太平洋戦争を開戦し、第二次世界大戦に参戦、国家総力戦のため文化や生活は徹底的に統制された。
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日本の文化
日本の文化で特徴的な事物を指す言葉として、「和」という言葉がよく使われる(例:和文、和歌、和服、和食、和風旅館など)。「和」は古くから日本を示す言葉で、漢(中国)や洋(西欧)など外国の事物に対比して使われる。また「大和」という言葉が使われる場合もある(例:大和言葉、大和魂、大和撫子、大和絵など)。「大和」は本来、奈良地方を指すが、同時に日本を示す古い言葉でもある。主に古代から変わらない事象と考えられるものを示すことが多い。
日本の文化は、古くは中国を中心とした近隣諸国、近代以降は欧米の文化から吸収・取捨選択を繰り返し、様々な手が加えられて独特な展開を遂げている。伝統的な(=近代化前の)日本文化については、特に仏教や儒教の影響なくしては語れない。明治時代以降はヨーロッパの影響を受け、現代では、アメリカ文化の影響を強く受けている。日本文化といっても、決して固定したものでなく、時代とともに変化してきたものである。また、表面的に大きく変化していても、その中に一貫する日本的要素が指摘できる部分もある(例:住居が和風の座敷から洋間に変わっても、室内に靴を脱いで上がる点では変わらない)。
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こけし
こけし大きく分けて伝統的な形式に則った「伝統こけし」と個性が豊かな「新型こけし」に分かれる。「新型こけし」には近代的インテリアにあった工芸的な「創作こけし」と、戦後東北に限らず全国観光地で土産品として爆発的に売られた観光土産品の「こけし人形」がある。
「伝統こけし」は、産地ごとに形式が異なり、その形式と伝承経緯により約10種類の系統に分類される。
こけしの名称は、各地によってすこしづつ異なっており、木で作った人形からきた木偶(でく)系(きでこ、でころこ、でくのぼう)、這い這い人形からきた這子(ほうこ)系(きぼこ、こげほうこ)、芥子人形からきた芥子(けし)系(こげす、けしにんぎょう)などがあった。
「こけし」という表記も、戦前には多くの当て字による漢字表記(木牌子・木形子・木芥子・木削子など)があったが、昭和14年8月に鳴子温泉で開催された全国こけし大会で、仮名書きの「こけし」に統一すべきと決議した経緯があり、現在ではもっぱら「こけし」という用語がもちいられる。
毎年5月3日~5日まで、宮城県白石市において「全日本こけしコンクール」が開催される。最も優れた作品には、最高賞として内閣総理大臣賞が授与される。 また鳴子では9月の第1土曜日曜に「全国こけし祭り」が開かれ、コンクールや工人の製作実演が行なわれる。
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伝統工芸
多くは、緻密な手作業によって製作される手工業品である。
あくまでも実用性を重視しており、鑑賞目的の芸術作品とは異なる。
ただし両者の境界は曖昧であり、人によっても解釈は異なる。
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伝統芸能
特定階級または大衆の教養や娯楽、儀式や祭事などを催す際に付随して行動化されたもの、または行事化したものを特定の形式に系統化して伝承または廃絶された、有形無形のものを言う。
詩歌・音楽・舞踊・絵画・工芸・芸道などがある。
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